江戸時代、徳川幕府の天領となった高山で、日下部家は幕府の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。 役所の御用金を用立てする掛屋を務め、後には両替屋を営みました。 江戸時代に建てられた邸宅は、明治8年の大火で類焼。その4年後の明治12年に完成したのが現在の建物です。 棟梁は、当時の名工・川尻治助。 飛騨の匠の技を集め、江戸時代の建築様式そのままの見事な住宅を造り上げました。 いかにも雪国の民家らしく、低く深く重々しい軒。 どっしりした構えの中に美しい出格子、豪快に組み上げられた梁組みと広い土間が表す空間美は、江戸時代そのままの技法を最大に生かした民家建築の集大成とも言える建築物です。 昭和41年、明治建築の民家として初めて、国の重要文化財に指定され、以後民俗館として一般に公開されています。